動物以上人間未満

卑屈負け組から見る外界の世界

結局何になりたい、どうしたいを考えると金持ちになりたい、人気者になりたいとかじゃなくて普通になりたいんだよ。普通の経歴は勿論、何気ないことでも楽しいという感情が溢れるくらいに。今の自分は捻くれすぎておわってる、パフォーマンスじゃないからより終わってる。

11月を振り返って、今後の人生のテーマ

 最近すごく焦っている、それが何から来るのか考えていたが恋愛したことがないというものである。少し前までは自分が人に好かれる努力を全くしなかったため、現実を受け入れていた。最近優れているとは言わないが人並み(他者から同じ空間にいてもまあ許してやるよ的な思想)の容姿、社会的風格、会話技術を身につけたため過去に諦めていた欲が再発して歪んだ形で自分のエゴと化して暴走している状態になってしまった。恋人でなくても20代若者の平均的なコミュニティレベルを手に入れればいいが、学生のコミュニティはすでに締め切りという現状である。

 自分はよく悲観的、考えすぎと周りに言われ時に怒られているがそれは構ってほしくて自分を下げているのではなく、これまで歩んできた人生経験や風貌を含め客観的に判断して下であると考えている。自分が相手を好きになってしまうとその方の風格を下げてしまう、私に好かれているという事実により品位が下がると本気に考えているので、好きだけど好きになってはいけないという誓約みたいなものが自分の中である。一流、いや普通の人間はまずこのような思考回路にならないため自分の気持ちを理解してもらうのは不可能だ、自分と長年の付き合いで友達という括りで関係性を維持しているが会話の中でなんでこいつが俺なんかと仲良くしてるんだ?って疑問があるくらい。つまり人間コミュニティ内で立場が違うのである。言うなれば貴族が奴隷と友好関係を持つみたいなこと。

 先月知り合いに自分は今まで親しみやすい、優しいが長所と思い込み理不尽を受け入れた結果、いじられキャラが確立してしまい周囲から目の見えない軽蔑を受けている、周囲の人間は俺を下に見ているという思想を話したら叱責された。確かに見下されているは言い過ぎだったかもしれない、自慢じゃないが自分は人見知りだが一度流れに乗ると会話で他人を楽しませるのは得意で自信があると感じ、また優しいが功を奏したのか知らないが共感力や空気を読む、さりげない気遣いなどができると思うので軽蔑ではないと思ってその点は反省している。しかしそれと同時に適切な表現を思いついた、それは見下されているのではなく一人前として見てくれないと言った表現が正しい。言うなれば視聴者がTVでお笑い芸人を見て笑っている構図がかつてから今にあたる自分なのである。極論だが自分が目指す姿はTVに映る俳優にならなきゃいけない、人を魅了する存在にならなきゃいけない。容姿に関しては幼少期のポテンシャルが少しあるが、現時点では高確率で人を惹きつけられないので、立ち振る舞いや受け入れる包容力、人間的魅力でこの人意外といいじゃんって思わせることが重要である。まぁ女性は顔や社会的地位を見て人を選定している節があるから容易な道ではないが。

 クリスマスを一つの期限に設定していたが多分間に合わないので来年の3月を目処に人を親しみやすいだけでなく人間的魅力で惹きつける存在になることそれが自分の目標である、24.5日は周囲と比較し惨めで劣等を覚えるが長期的視野から見て受け入れようと思う。人生消化試合と思ってたが自分の行動次第で何色にも染めることができるんだぞってことを証明してやるよ。と思った11月なのでした。

過去・しがらみ

いじられキャラで生きていくことに慣れてしまった結果何もしなくても周囲に人が寄ってくる甘ったれた環境にいたせいか長らく愚かな人生だったことに今更気がつく。もちろんこれまでの人生も嫌な物ではなく(恨みたい出来事もあったが)まぁまぁ楽しくやらしていただいたが結局人当たりがいいや優しいだと人としての魅力が何一つないことに気づいて今無性に苦悩し、落ち込んでいる。どんなに変わろうとしても過去のイメージは払拭されず変な人が変な人なりに頑張ったんだね😂って烙印を押されて終わり。もう自分は普通の道・普通の幸せは手に入らないって割り切り社会に出て一定水準の地位を手に入れて周囲を見下すしか幸せを感じれない気がしてならない。本当は地元に残って週末はたまに知り合いと会ってゆっくり過ごすという生活が理想だし、楽、けど同時にその生活をしてしまうと結局今までの延長線上だし本質は何も変わらない。居心地の良い環境だが同時に愚かで情けない過去の自分の面影が脳裏をちらつかせ苛立ちを覚えてしまう。極論だが過去の全てのコミュニティを捨てなければ人間的に飛躍できないのではないかと最近考えてしまう。いっそ全ての人間に嫌われた方が復讐心が増幅し見返してやろうとなるので、人間的魅力が飛躍的に成長するのかなぁと最近思う。

自分が思う痛い奴一覧集その2

Filmarksを自分のsnsのリンクに貼っている奴は周囲とは違うと内心思っているお高い奴で、自分の意見をあたかも有名評論家気取りで酷評する。確かにあまり面白くない作品もあるかもしれない、それはわかる。100歩譲って胸の内に秘めるか匿名で意見を述べればいいのに、ただの一般市民が制作側の苦労を知らないで指摘や意見を超えた批評をしているやつを見ると特別な自分を見て!って感じがすごくする。女子の場合は某元毒舌アイドルに憧れたのかと思う。

苦手な人

誰しもが苦手な人はいると思う、人を苦手と判断する場合自己中、かまちょ、思ったことをすぐ言うなど基本的に負のイメージが先行して拒絶反応を示すと思う。しかし最近必ずしも負の要素だけが苦手意識を作る要因だけではないと感じた。自分は優しすぎる人が苦手かもしれない、理由は3つある。1つ目は自分と比較してしまうからだ、自分は人に対して優しくする傾向があるがその本質は他人に感謝されることに悦を浸し自分の価値を見出せるからであり、他人に優しいふりして自分の存在意義を認識するという利己的なものだ。そんな自分と対照的に打算的な気持ちなく根っからの善で行動する人を見てしまうと何とも言えない無力感に苛まれる。養殖が天然に勝らないように優しいで武装した所で真の善には勝てないのである。2つ目は得体の知れない物が背後に潜んでいる感じがするからだ、人間は動物の中で最も複雑な感情を司る生物である、多種多様な感情を使い分ける一方人間とは非常に感受性が強く弱い生き物である。そんな中で自分の損得勘定を抜きにして善を振り撒いている人を見ると得体が知れず、気丈に振る舞っている裏で心を痛めてそうで見ているのが辛いからである。3つ目は優しい言葉が実は人を傷付ける場合があるからだ、これは自分が捻くれているからかもしれないが、慰められると嬉しくもあるが同時に惨めでもあって全て見透かされてるようで自分の自尊心が傷ついてしまうと感じてしまって素直になれないからだ。何気ない一言が相手の心を傷つけるように、何気ない善が相手の心を傷つけてしまうのだ。私は優しすぎる人に憧れを抱くと同時に自分には到底なれない存在であると言う現実を突き付けられたような気持ちになるから優しい人はかえって苦手かもしれない。