動物以上人間未満

卑屈負け組から見る外界の世界

恋人は嗜好品

少し前に今の若者は子供は嗜好品と認識しているというニュースを見て非常に私は共感した。もっと言うと恋人自体も嗜好品だと個人的に考える。高校生までは主に顔、運動神経、話していて楽しいかなどで恋人を選定する。しかし大学生、はたまた社会人になると顔などはもちろん、学歴、年収など社会的地位がより要求されるようになる。つまりかっこいい、可愛いは前提条件でありプラスαで経済的に裕福でないと市場で戦うことはできないのである。カバンだって安価なものより高級ブランド品の方がいいですよね?そう言うことです。つまり恋人ができたからゴールではなく自分の価値を常に向上する必要があるため常に研鑽を積まないと恋人は離れていく、また付き合ってからもデート代、プレゼント代などを出費しなければいけなくお金が無いという事実を知られてしまうと幻滅されてしまう可能性がある。要は車と一緒で維持費が掛かってしまうのである。古い物を捨てて新しい物に乗り換えるように一度見切りをつけられたら人はすぐに裏切ると個人的に考える。よく恋人が欲しいとか言う奴がいるが自分の欲を満たすだけとしか考えてる奴しかいない、人間的魅力、経済的安定、社会的地位を向上させないといけないと本気で考えてる奴が少ないと感じる。よく恋人欲しいとは思わないのかと聞かれるが私は人並みに付き合う努力をこれまでしてこなかったので土俵に立つ資格はないのである、また維持費がかかってしまうので今の私には役不足である。可愛い、美人、社会的地位が高めな人はベンツ、アウディロールスロイスなどで誰もが憧れるがその分求められることも多くそれ相応の風格が求められる。一方ブス、穴モテ、社会的地位が低めな人は誰も憧れないがその分安価に手に入る。つまり車検切れの軽トラ、修復不可の事故車みたいな物である。少々話は逸れてしまったが恋人は嗜好品であると私は考える。