動物以上人間未満

卑屈負け組から見る外界の世界

誹謗中傷で思ったこと

 先日某芸能人が誹謗中傷?(原因は定かではないがおそらく)で自ら命を絶ってしまった。近年トランスジェンダー性自認の価値観が疑問視される世の中において、確かに亡くなった芸能人の行動に不愉快を覚えた方もいるだろう、だからといって直接関係ない容姿の批判や性差別的発言を匿名で誹謗中傷し、面白おかしく揶揄することは到底許されるべきではないと考える。亡くなった報道があったとき大学の同期達と雑談をしておりこの件について議論していた。その中で死ねと言う言葉が使っていけないと言う暗黙の了解があるが、なぜ使ってはいけないかと言う理由がわからなかったのである。(正確には頭では分かっているが上手く言語化ができなかった)同期の一人がこれは正しくてこれは間違っているという理解はあるがなぜ正しいか、なぜ間違っているかの理由を考える思考力を身に付かなければ意味がないといった内容を話していたなと、ふと思い出した。

 小学生の時に死ねと言う言葉を使うと激怒する教師がいた。その教師はその言葉を絶対使うなと言うだけでなぜ使ってはいけないかを論理的に説明できなかった。個人的な見解だが小学校の教員は正義ぶっている偽善者ばかりであり単に死ねと言う言葉を自分の耳に入れたくないから激怒してるんだろうなぁと思っている。ネットを幼少期から触れる環境の中何故死ねと言ってはいけないのか、軽い気持ちでsnsに誹謗中傷を投稿してはいけないかを道徳教育で教えるのは時代にそぐわないと考える。みんな言わないだけで自分が嫌いな人間には少なからず死ねと言う気持ちを持っているのである、かく言う私もそうだ、表向きでニコニコしている裏でこいつ死ねと普通に思っている。

結論から言うと誹謗中傷をすることで相手側が傷つくと教育するよりも、誹謗中傷した場合に訴えられ、多額の賠償金を払わされて自分の人生が終わるからしてはいけないと教えた方がいいと考える。誰もが心の奥に悪魔が宿っているのだから。